ハザマの世界って?

「HAZAMA-1 鬣」 M10 53.0 x 33.3 cm/墨、水彩 和紙、パネル/2017年

タイトルにHAZAMAとついた子たちがいます。
黒木リンが長年描き続けている作品シリーズです。
そんな作品たちのことを少しお話したいと思います。

私はHAZAAMAシリーズで「空間」を描きたいと思っています。
その空間のことを、私は「ハザマの世界」と呼んでいます。
光、音、におい…日々様々な感覚が私を刺激する中で、時に疲れ立ち止まりたくなるのです。
いろいろなものと「ちょうどよい距離感で生きたい。」そんな願いからハザマの世界は生まれました。

私(または絵の鑑賞者であるあなた)と生きものとが繋がれる空間、それが「ハザマの世界」です。

普段そこに、いるはずのない生きものたち。
遠い国や、人間が住めない海の中などで生きている、「彼らがいる空間」と、「今自分がいる空間」のチャンネルが合い重なるその瞬間、目の前に見えている景色は『ハザマの世界』になるのです。

違和感と心地よさが一体となった、自分だけの現実。
そこは寒くも暑くもない無音無味無臭、けれど何かの気配が漂う場所。
受け取る感覚が制限されているからこそ、私はそこに心地よさを感じます。
ハザマの世界に心を置くこと、私にとって現実に生きながら、心地よさを感じることができる空間であり、安らげる時間でもあります。

けれど、絵の前に立ったあなたには、あなたの好きに感じて欲しい。
作品を前にしたその時間を楽しんでほしい。ただそれだけです。

黒木リン 20240711

あのときに見た景色

2019/10/25 09:33(noteより)

ハザマの世界は感覚が制限されているはずなのに心地よさを感じる場所…と思ったが、ちがう、『感覚が制限されている』から私はそこに心地よさを感じるんだ!と気づいた。

家も木も空さえも見える何もかもが雪に覆われた、あたり一面真っ白な新潟の冬。空気は澄み切っていて音も心地よく無音。
住んでいる生き物としては不便な部分もあるのだけれど、そんな新潟の冬が好き。
最近はそういう冬でない時も多くなってきたけど。

子供のころに感じた心地よさを思い出しながら、私は作品を描いているのかもしれないなーと最近思うようになった。
あのときに見た景色をそのまま絵に描くことは私にはできないが、あのときに感じた感覚を別の形で作品として今描いているんだなぁ。
なんかやっとストンときた気がする。
やっぱりね自分の中にある感覚でしか作品を作れないんだ。
自分の感覚に嘘をついて作品を作ることはできないんだ。

私は画面の中へ中へと、空間を潜るようにして描いている。
紙から浮き出すようには描いてない。
紙の向こう側を描いてるイメージだろうか。
だから作品が窓なのだけど。

こちら側とあちら側という区別とそれが繋がっているという感覚があるからこそ、作品の前に立った人も作品の一部だと思うのかもしれない。

ハザマのおはなし・・・

2019/09/10 17:11(noteより)

私の中にある「ハザマ」という感覚

日常と非日常、その狭間。
現実と非現実、その狭間。

小学校の帰り道、大人になった今も、ふとした瞬間に
今この場所に、ここにはいないものが
今この瞬間に、私の目の前にいたら

それはどう、そこに存在するだろうか?
それは私に気づくだろうか?

そんなことを考える。
単なる記号として、そこにそれがいるのではなく
その「不確かな存在」と「自分」がつながることができる空間。

目をとじて
閉ざされた中で空想するのとは少しちがう
目をあけて
目の前にいるような感覚で呼び起こす。

違和感と心地よさが一体となった、自分だけの現実
「ハザマの世界」
そこからインスピレーションを得て
作品という形で具現化しながら、自分のハザマにあるものを追求していきたい。

作品を通してあなたにも視えますように…

目ざわりがいい

2019/09/16 16:18(noteより)

視覚に心地いいことを「目ざわりがいい」と自分は言っているのだけど、手触りがいいに近い感覚で、目で触るイメージ。
自分の作品は目ざわりが良いものを目指している。

黒木リンの作品を直接見てもらうと、和紙の毛羽立ちが絵の肌として見れます。

パネルに和紙を貼り、つけペン(丸ペン)を使い、墨で描くペン画です。
引っかかりながら描きます。
描いているとガリガリシャリシャリ音がするくらい。
色はアクリル絵の具で。

なんとか画像で映らないか…と撮って見たけどやっぱり画質がいくらよくても難しい…

やはり画像、写真ではお伝えできない事なので「体感」と言う言葉がぴったりかもしれません。
機種変してカメラもよくなったけど、やっぱりそこじゃないんだなーと。

絵の前に立って、作品の空間を体感してほしい。

絵を見た方に「写真みたい」とよく言われますが、写真の表面はつるっとしてるけど、絵の表面はザラザラなのです。
だから直接見ると、作品たちの表情が豊かに見えるのではないかなと思います。

ハザマの世界と作品のこと

2019/10/21 11:58(noteより)

違和感と心地よさが一体となった、自分だけの現実。
そこは寒くも暑くもない無音無味無臭、けれど何かの気配が漂う場所。
感覚が制限されているはずなのに心地よさを感じる場所。

その感覚で思い出すのは小さい頃に作ったかまくらで、頭だけしか入らない小さなかまくらだけど、寝っ転がって頭を入れて遊んでいた。かまくらの中は外の音が聞こえないシーンと静かなんだ。
あと小学生のときのプール。仰向けで水に浮かんで息を少しずつ吐くと体は沈んで底に着く。見上げた水面はキラキラと輝いていて、それがとても美しかった。

自分の中にある感覚を外に、他人に見える形に具現化したいという思いが制作に向かうんだ。
完成した作品たちは誰かに見てほしいし、紙に描いた空間を体感してもらいたいと思うのだけど、制作すること自体はすごくパーソナルなもので誰にも干渉されたくない。
作品を通して何かを伝えたいわけではないし、私が心地いい空間、目触りがよい画面、それを作品として具現化しているだけだから共感して欲しいわけじゃないんだよなぁ。
感じ方は人それぞれだし。だけど、もし作品を気に入ってもらえたならばそれはとてもとても嬉しい。

作品を目の前にして、開かれた窓からその空間を楽しんでもらえたら…そう願っている。