2021もあと半分

久しぶりにココで日記を書こうと思います。
1年ほどnoteを使ってみたのですが、私にはどうも合わなかったようで戻ってきました、ただいま。スッキリと自分の文と写真だけが表示されるこの場所が、なんだか落ち着くんだ。

そんなこんなで気が付けば2021年も半分が終わりますね。
年が明けると個展なので、個展まであと半年…準備期間だけで言えば半年もないのだけれど。

ただいまP30号制作中です、でかい。
去年REIJINSHA GALLERYさんでやらせていただいた2回目の個展で一番大きかったのは20号(レッサーパンダ)、1回目は同じ30号(アルガリ)だけどMなので……次の作品は私の中で過去最大作品になります。
また制作途中の写真など、Twitterにアップしていこうと思っているのでぜひチェックしてくださいね。

半年の振り返りでも~とも思ってのですが、何していたっけ…
相変わらず外出は近所だけ。仕事して、合間に大好きなうたプリ追いかけて、気づいたら半年終わっていましたね。大変なこともあったけど、だいすきに救われ続けた半年でした。

時間が取れる今、体を休めつつ、制作進めつつ、楽しいこともしつつ、自分のペースで生きたいなと思います。

20210630


あのときに見た景色

2019/10/25 09:33(noteより)

ハザマの世界は感覚が制限されているはずなのに心地よさを感じる場所…と思ったが、ちがう、『感覚が制限されている』から私はそこに心地よさを感じるんだ!と気づいた。

家も木も空さえも見える何もかもが雪に覆われた、あたり一面真っ白な新潟の冬。空気は澄み切っていて音も心地よく無音。
住んでいる生き物としては不便な部分もあるのだけれど、そんな新潟の冬が好き。
最近はそういう冬でない時も多くなってきたけど。

子供のころに感じた心地よさを思い出しながら、私は作品を描いているのかもしれないなーと最近思うようになった。
あのときに見た景色をそのまま絵に描くことは私にはできないが、あのときに感じた感覚を別の形で作品として今描いているんだなぁ。
なんかやっとストンときた気がする。
やっぱりね自分の中にある感覚でしか作品を作れないんだ。
自分の感覚に嘘をついて作品を作ることはできないんだ。

私は画面の中へ中へと、空間を潜るようにして描いている。
紙から浮き出すようには描いてない。
紙の向こう側を描いてるイメージだろうか。
だから作品が窓なのだけど。

こちら側とあちら側という区別とそれが繋がっているという感覚があるからこそ、作品の前に立った人も作品の一部だと思うのかもしれない。

ハザマのおはなし・・・

2019/09/10 17:11(noteより)

私の中にある「ハザマ」という感覚

日常と非日常、その狭間。
現実と非現実、その狭間。

小学校の帰り道、大人になった今も、ふとした瞬間に
今この場所に、ここにはいないものが
今この瞬間に、私の目の前にいたら

それはどう、そこに存在するだろうか?
それは私に気づくだろうか?

そんなことを考える。
単なる記号として、そこにそれがいるのではなく
その「不確かな存在」と「自分」がつながることができる空間。

目をとじて
閉ざされた中で空想するのとは少しちがう
目をあけて
目の前にいるような感覚で呼び起こす。

違和感と心地よさが一体となった、自分だけの現実
「ハザマの世界」
そこからインスピレーションを得て
作品という形で具現化しながら、自分のハザマにあるものを追求していきたい。

作品を通してあなたにも視えますように…

目ざわりがいい

2019/09/16 16:18(noteより)

視覚に心地いいことを「目ざわりがいい」と自分は言っているのだけど、手触りがいいに近い感覚で、目で触るイメージ。
自分の作品は目ざわりが良いものを目指している。

黒木リンの作品を直接見てもらうと、和紙の毛羽立ちが絵の肌として見れます。

パネルに和紙を貼り、つけペン(丸ペン)を使い、墨で描くペン画です。
引っかかりながら描きます。
描いているとガリガリシャリシャリ音がするくらい。
色はアクリル絵の具で。

なんとか画像で映らないか…と撮って見たけどやっぱり画質がいくらよくても難しい…

やはり画像、写真ではお伝えできない事なので「体感」と言う言葉がぴったりかもしれません。
機種変してカメラもよくなったけど、やっぱりそこじゃないんだなーと。

絵の前に立って、作品の空間を体感してほしい。

絵を見た方に「写真みたい」とよく言われますが、写真の表面はつるっとしてるけど、絵の表面はザラザラなのです。
だから直接見ると、作品たちの表情が豊かに見えるのではないかなと思います。

ハザマの世界と作品のこと

2019/10/21 11:58(noteより)

違和感と心地よさが一体となった、自分だけの現実。
そこは寒くも暑くもない無音無味無臭、けれど何かの気配が漂う場所。
感覚が制限されているはずなのに心地よさを感じる場所。

その感覚で思い出すのは小さい頃に作ったかまくらで、頭だけしか入らない小さなかまくらだけど、寝っ転がって頭を入れて遊んでいた。かまくらの中は外の音が聞こえないシーンと静かなんだ。
あと小学生のときのプール。仰向けで水に浮かんで息を少しずつ吐くと体は沈んで底に着く。見上げた水面はキラキラと輝いていて、それがとても美しかった。

自分の中にある感覚を外に、他人に見える形に具現化したいという思いが制作に向かうんだ。
完成した作品たちは誰かに見てほしいし、紙に描いた空間を体感してもらいたいと思うのだけど、制作すること自体はすごくパーソナルなもので誰にも干渉されたくない。
作品を通して何かを伝えたいわけではないし、私が心地いい空間、目触りがよい画面、それを作品として具現化しているだけだから共感して欲しいわけじゃないんだよなぁ。
感じ方は人それぞれだし。だけど、もし作品を気に入ってもらえたならばそれはとてもとても嬉しい。

作品を目の前にして、開かれた窓からその空間を楽しんでもらえたら…そう願っている。