2021おわり

2021年もたくさんの出会いをありがとうございました。楽しい悔しい悲しい嬉しい、たくさんの色んな気持ちが入り混じりながら歩いた一年でした。年が明けたらすぐ個展です。私も久しぶりにギャラリーに立つことを楽しみにしています。

みなさま良いお年を〜

根比べ。

ふと目が合い見つけた、落ち葉の下の野ネズミの道。

顔を出しそうになっては引っ込みを繰り返し、粘ったけれど私の根負けで今日は写真には納められなかった。
次に会った時は、よかったら一枚撮らせて欲しいな。。

焦げ付かないようにゆっくりと。

少しずつ少しずつ、自分の表現したいことが煮詰まってきて形になってきている実感がある。カタチ……というよりはひとまずの塊のような気もするが。
できはじめたこのカタチを、これからもっと理解し、育てたい。

自分が何をしたいのか、なにを表現していきたいのかを言葉でもしっかりと出していきたい。勉強不足を嘆くなら勉強をすればいい。

くやしさやもどかしさが、心でカサカサと枯れた葉のように音を立てているけれど、ほんの少しでも前へと、進んでいる気がしていることを、今は喜びたい。

倦まず弛まず日々通過点。

おまじないのように唱えるこの言葉は、すぐに他人と比べ拗ねる、子供っぽい自分の背中をたたくための見えない手。

2021115

雨の日の七夕

時々パラパラと読み返す本。
いろんな紙の切れ端たちに書かれた船越桂さんの言葉の断片が、妙にしっくりくるのです。
以前TVのインタビューで彫刻作品の下が切れていることについて、人は誰かと話す時足のことは意識しないがお腹の下くらいまでは視界に入る。自分の認識している範囲がここまで、というようなことをお話されていて、私はそれを聞いた時にすごく納得してストンと腹落ちした。あ、私もそうだなって。

前に顔だけの狼を描いたのだけど、お世話になっている画家の方になぜ顔だけなの?と聞かれ、その時の私はうまく答えられなかった。

確か「こ、これでいいんです…私の、中では…」的なことをいって呆れられたような記憶がある。もっとこうしたら?とアドバイスもいただいたが、「私の中ではこれで完成なんだ」っていうきもちは消えなくて。

私はこれでいいと思っていたが、間違っているのだろうか?とまだ自分の作風も固まりきらず自分の感覚に自信がなかった当時、うまくその感覚を言葉に変えて口から出せなくとても不安になった。

その感覚、信じて大丈夫だよ、とその時の私に言ってあげたい。

20210707

2016年「狼」